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答えは○なんだ!
北海道のお米は、全国的なレストランや牛丼チェーンなどで採用されているよ。
30年くらい前は、道内の人でも新潟産など他県産の米を好む人が多かったけれど、研究機関や農家の皆さんの努力によって、安くておいしい北海道産米が実現した。
20年ほど前、北海道で食べられている米のうち道内産の割合は40%くらいだったこともあるんだけど、昨年の統計ではなんと88%にまでアップ。
北海道産米に変えよう、というキャンペーン「米チェン」が始まった10年前でも65%くらいだったんだから、ここ最近、道内での人気が大きく高まったことがわかるよね。
みんなのおうちではどこのお米を食べているのかな。そんな北海道のお米は、地産地消の優等生といえるし、道外でも広く愛されているよ。
北海道が開拓され始めた時は、お米を作るのは禁止されていた
今の北海道はそんな「稲作王国」だけれど、これまでの道は決して平坦ではなかったんだ。
もともと、イネの原産地は中国の南部や東南アジアといわれていて、かなり暖かい地域の作物。夏でも気温が十分に高くならない北海道で作るのはすごく難しかったんだね。
そのため、明治時代の前期に北海道開拓を取り仕切った役所「開拓使」は、酪農と畑作を主体にしたアメリカ式の農業を中心に置いて、稲作を禁止!したんだよ。
クラーク博士で有名な札幌農学校でも、学生はカレーライスの時以外、米を食べるのを禁止され、パンと肉を食べていたんだって。
僕はたまにパンでもいいけど、1日3食ともパンはちょっとつらいかな。みんなは平気?
もっとお米中心だった時代の学生さんはつらかったんじゃないかなって思うんだ。
農家の情熱で、今の稲作王国北海道が出来上がった!
開拓使に禁止されてしまった米作り。それでも、北海道には北陸や東北など米作りの盛んな地域の出身者が多く、農家としてはどうしても米を作りたい、という情熱を持ち、細々と米を作るようになったんだ。
転機は1920年代。畑作物に大冷害が起きたのをきっかけに、北海道でも米作りが奨励されるようになったんです。
その後も頻繁に冷害にあったけれど、栽培方法の工夫や、研究機関による冷害に強い品種の開発などいろんな人々の努力があって、今の「稲作王国北海道」ができたんだね。
みんなが食べている、お茶碗のなかの一粒一粒に、明治時代から続く、人々の情熱が詰まっているんだと思うと、ちょっと感動しちゃうな。
監修:小園 拓志(こぞの ひろし)
1977年、門別町(現・日高町)生まれ。96年に私立灘高校(兵庫県)、2000年に東京大学法学部を卒業後、故郷の北海道に戻り、新聞社に就職し今に至る。 日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」にあこがれる少年時代を過ごし、灘中学進学後の91年、高校と合同でクイズ同好会を設立、95年まで活動。その後、10年以上クイズから離れたものの、2009年にYouTube上の番組「ウルトラクイズハットちゃん第6回東京大会」で久々にクイズに打ち込んでクイズ熱が再燃。プレイヤーとして年に数回、道外に遠征する傍ら、道内では中高大生の育成を目的に「北海道新人王」の開催など大会運営に携わっている。目立った戦績に乏しいが、2015年5月にJRA札幌競馬場で開催された大会「クイズdeダービー!」でなぜか優勝。スタッフ業としては、HTBほか世界各国で放送された、北海道好きの外国人が道内を巡りながらクイズに答える番組「北海道ドリームゲームショー」(15年)、「北海道ドリームクイズ」(16年)で問題監修を担当した。 問題作りの信条は、クイズのために勉強して知った知識ではなく、新聞やテレビ、学校の勉強、街歩きなどで知った「生きた知識」を大事にすること。「エコチル」紙上でも、ただ知るだけではなく、知った後に、身の回りのことから世界のことまでを考えてもらえるようなクイズを出していきたい。