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みんなが住む札幌のまちは、どのようにつくられてきたのだろう?過去から現在までの移り変わりと未来のまちづくりの計画を、ここでいっしょに見てみよう!
札幌の歴史 明治初期~昭和の終わり
みんなは、島義勇という人の名前を聞いたことはあるかな? 明治2年、政府から蝦夷開拓御用掛に任命され、開拓使判官として札幌の開拓に着手した人だよ。島義勇は、現在の大通公園を境に、北は役人のエリア、南は商人のエリアと、碁盤の目のような区画整理を考えたんだ。左の2つの地図を見てみると、まちのつくり方が昔も今も大体同じだということが分かるね。
明治13年には札幌で初めての洋風ホテル・豊平館ができたり、大正になると、定山渓鉄道が走ったり、札幌のまちはどんどん栄えていった。昭和に入ると、周りの琴似町、篠路村などと合併して、さらに大きくなっていったよ。
昭和47年開催の札幌オリンピックに合わせて、まちはさらに進化をしたんだ。地下鉄・南北線が開通し、大きなビルもたくさん建ったよ。人口もそのころから急上昇し、政令指定都市※になったんだ。
※政令指定都市…いろいろなことができる大都市のこと。政令指定都市になると区がつくられるよ。
197万人が暮らす現在の札幌
明治32年の札幌の人口は、およそ4万人。令和元年12月時点の札幌市の人口は、およそ197万人。まちの成長とともに、人口もとても増えたんだ。区の数も、政令指定都市になった当時は7区だったけれど、現在は10区に増えているよ。
1年間に降る雪の量は約6mと多く、人口100万人以上の大都市で、こんなに雪が降るのは世界でも札幌だけ。豊かな自然、多くの商業施設、便利な交通機関などがそろう、とっても魅力的で便利なまちにみんなは住んでいるんだね!
ここ数年は、生まれる子どもの数が減っているため、今後は人口が減ると予測されているんだ。これからは、より快適で健康的に暮らせるまちづくりが求められていくよ。では、どんなまちにしていけばいいのだろう?
まちづくりを支える環境エネルギープラン
現在、札幌市では、都心エネルギーマスタープランという計画を進めているよ。都心のまちづくりを支える環境エネルギー計画で、札幌市民の生活の質を上げ、札幌市さらに北海道全体が持続的に発展するためのプランなんだ。
明治~平成と、進化してきた札幌のまちだけれど、その成長にともない、CO2を多く出しているエリアがあったり、建て替えの必要がある古いビルがあったりするんだ。今、札幌のまち、人々の暮らし、エネルギーのあり方の見直しが必要になってきているんだよ。
都心エネルギープランでは、「低炭素」「強じん」「快適・健康」の3つが大きな柱になっている。「低炭素」は、世界トップレベルのCO2削減対策を実践すること。「強じん」は地震などの非常時に人々の安全を保ち、会社などの活動が続けられるようにすること。「快適・健康」は、魅力的で快適な都市空間と人々がつながれ、活力のある都心となること。これらの目標を実現するためには、私たち市民や役所、企業などが連携して、長い時間をかけて取り組んでいくことが大切。みんなも札幌のまちの動きに注目し、イベントなどが開催されるときは、ぜひ参加してみてね。
都市のまちづくりを支える
エネルギープランの3つの基本方針
低炭素 Low Carbon
脱温暖化を先導するまち
世界トップレベルのCO₂削減対策の実践
強じん Resilisence
いつでも安心できるまち
非常時の人々の安全確保と企業の活動継続支援
快適・健康 Livability
世界一住みたい冬のまち
魅力的で快適な都市空間と人々をつなぎ、活力あふれる都心の形成
さっぽろまちクイズ
Q1
現在の東区の辺りは、昔は村だったよ。何ていう村だったかな?
①札幌村 ②東村 ③篠路村
Q2
政令指定都市の中で札幌市は何番目に人口が多い?
①1番 ②3番 ③5番
Q3
札幌のまちにある道路を全てつなげると何㎞になる?
①約570㎞ ②約5,700㎞ ③約57,000㎞
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【さっぽろまちクイズの答え】
Q1.①札幌村 Q2.③5番 Q3.②約5,700㎞
協力:札幌市まちづくり政策局都市計画部都市計画課
参照:『ミニまち』(札幌市まちづくり政策局都市計画部都市計画課)